作りたい

今日は仕事がいまいち乗らなくて(ダメな大人です)、
またもサーチ作業をしたわけですが、
Dorset buttons とZwirnknopfを混同されている方が多いんだなと気が付きました。
いざ作ると違いは明らかなのですが、
ぱっと見、確かに同様ですもんね。
何かわたしにできることはあるかなぁ。

こう↑書くと、なんかやる気ありげですが、
もともと気の小さい人間なので(体は大きいんですけどね)
このところ、「わたしがやってていいのかな、でも、作りたいんだよなー」
という思いがぐるぐるしていました。
このフレーズは、レースを始め、ブログを始めた頃から、時折頭を巡ります。
西洋でずっと伝わってきた手仕事を日本人のわたしがやるにおいて、
やはりきちんと基礎だけは身につけてから、
基本ができるようになった上でなら、自分なりの工夫をしても可という
決まり事は自分の腹に持ってきました。
以前、北欧でニットを学ばれた方とやり取りをしたときに、
同様のことを話されていて、
ああ、間違ってなかったと、ほっとしたこともあります。
でも、それを思っているわたしの内面は他者からは見えませんもんね。
表に出ていることの受け取り方はそれこそ百人百様です。
自身でもよく分からないうちに、とんでもないことをしているかもしれないし。

ボタンを作るのが楽しくて、見て見て♪と画像をアップしていたけれど、
日本においても、わたしよりずっとずっとお詳しい方も当然いらっしゃるだろうし、
よくこんなの出すよなぁと思われていたら
なんか、かなり恥ずかしいかも…と、急に気が付き、どうしようと冷や汗をかいていました。
ねぇ、今更なんですけどねぇ。

そんなところへボタンメーカーさんたちから連絡をいただいて、
じゃあ、どうしてボタンメーカーさんたちがわたしによくしてくれるのだろうと考えたときに、
日本人らしいとおっしゃってくださったことを思い出しました。
手仕事は言葉を超える、洋の東西を融合することでもっとよいものができる、とも。

どんなに努力したとて、
その地の空気、季節、風習、深い歴史を知らないわたしには
すべてを真の意味で理解することはできません。
そこで育っていくことで感覚的に身に着くものも当然にあるはずだからです。

それでも、とにかく基本はしっかり、きちんと、
その中で、わたしなりのものを、これまたやっぱりきちんとやっていれば、
これっていいねと認めてくださったり、作ってみれば?と許してくださる方も、
少数であっても、いるんじゃないか?

なんだか、一人で勝手に転んだり立ち上がったりの日々です。
時代に合わないネガティブ人間はこれだから面倒くさい。
それでも、やっぱり、
「作ってみたい」の気持ちは殺さずに生かしていこうと、今日のわたしは思っています。
もちろん、真摯に謙虚に学ぶ気持ちは持ち合わせていると、そこは自信を持っていますので、
「なんだ、これ?間違ってるじゃん」「これって本当はこうなんだけど」ということがありましたら、
是非お教えください。

関連記事

 糸ボタン(passementerie buttons)

0 Comments

Leave a comment