1月20日の鍵コメさんへ♪

わたしがそれを最初に知ったのは、5,6年前になるかと思います。
ずっと作っていらっしゃる方がいて、存在を教えてもらいました。
(お知りになりたいようでしたら、今度おつなぎします)
調べてみると、昭和の昔から本に載っていたりするのですね。
流行り出したのはここ最近かな。

誰もみんな新しいものを求めていて、
誰でも肩書を持てるようになり、発信できるようになって、
とかく、何事も、声が大きい人、ぐいぐいと押し出していける人が目立ってしまいますよね。
悔しい思いをなさることもあるのだろうなとお察しします。
わたしも、でれ~んと、のんびりしていながらも、多少は似たようなことを経験しています。

でも、思うんですよ。
その人の手から成るのは自己紹介だって。
わたしは霊能力者じゃないけど(笑)、見れば分かる。
ああ、こういう人なんだなって。
だから、わたしは、
手芸でも、人間関係でも、きちんと誠意を尽くして、仁義を通してやっていこうと思っています。

今日ね、手芸とは関係のないところで、ある文章を目にしました。
「基礎がないというのは『残酷』」だと。
厳しいです、でも、全くそのとおりです。
どんなに表面を取り繕っても、よい作品の真似をしても、
基礎がないというのは見えてきます。
技術があってのセンスですよ。

鍵コメさんには素晴らしい先生がおられるじゃないですか。
きっとよい形に導いてくださいますよ。
今だって応援してくださっていますもの。心強いですよね。

わたしも素晴らしい先生にバテンレースを教えていただいています。
この出会いには、自分の運のよさ、あのときに習うと決めた自分を褒めてやりたいです。
わたしの教室以外でも、新潟の先生や教室の生徒さんは作品をウェブ上にアップすることはほぼないのですが、
それはそれは、目を見張る作品ばかりです。
しかし、公開していないので、検索をかけてヒットするものの中には、
どうしても「う~ん…」と思うものがあります。
それが本来と思われてしまう寂しさや口惜しさを感じることもあります。

ボタンでも同様で、
日本において、ボタンを研究、製作していると標榜されている方が、よいものをお作りなら、
わたしも是非とも教えていただきたいと思うのですが、
そうじゃないんじゃないかな…って思うものや、また、わたしへのご発言に接して、打ちのめされたこともあります。
でも、結局、わたしにできることは、
大切な友人、Ginaさん、Sabineさんからいただいたものをきちんと学んで、
わたしのこれまで得てきた技術を使って、
わたしの中から湧いてくるものを形にして、
そのうえで、納得できるものを発信していくことしかないんだと思っています。
わたしは肩書を持ちませんし、手芸での研究も活動もしていませんが、
こうして画像をあげるという行為だけでも、
下手なものを公開していては、お世話になった方々の顔に泥を塗ることにもなりかねません。
自分できちんと消化しているかどうか確認しながら進めています。

それにね、今は、それでよかったんだなって確信しています。
そうしてきたから、
ボタンアーティストの方たちの信頼を得られて、
公でご紹介をいただいたり、御著書や新聞にまでご紹介をいただくという光栄にあずかりました。
言葉は強いツールではあるけれど、根本の問題ではないと、わたしは、そこで、知りました。
まじめに長くやってきたからこそ、鍵コメさんとも仲良くなれたし、
なんと、鍵コメさんの先生ともお近づきになるという幸運も得ました。
そして、わたしに会いたいと集まってくれる方がいるという大きな幸せを得ることまでできました。
どんな場所にも、自分と合わない人、他者の足を掬おうとする人はいるんだろうと思います。
でも、見る人には分かりますよ。特殊能力がなくても(笑)、きっと分かる。

鍵コメさん、わたしたちはお互い、先生、友人に恵まれました。
この運のよさ!
基礎力、上げていきましょう。
そうして、人真似じゃない、鍵コメさんだけのものを、楽しく作っていきましょうよ!
わたしは応援しています。
そして、わたしもそうしていきます。
大丈夫、きっとうまくいきますよ!
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